熊本県菊池市

お年寄りは「きらりびと」
廃校舎を舞台に人々が“対流”

NPO法人 きらり水源村

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「つながり」が生まれると新しいことが始まる

海外からの来客も多い。お年寄りたちは、あっという間に人気者になってしまう 海外からの来客も多い。お年寄りたちは、あっという間に人気者になってしまう

海外からの来客も多い。お年寄りたちは、あっという間に人気者になってしまう

NPOバンクとは、環境保護や社会貢献などの活動を行う団体に対して独自の審査基準により低利融資を行う非営利の民間団体で、近年全国で設立が相次いでいる。ap bankはその先駆けとも言える団体で、きらり水源村もap bankからの融資を活用している。apは「アーティスト・パワー」の略。

そのap bankでは、より多くの人の環境意識を高めようと、ここ数年、コンサートを中心とした大規模なフェスティバルを静岡県で夏に開催している。有名アーティストが多数出演するその「ap bank fes」に、交流館のおばちゃんたちが地元料理を売る店を出しているのだ。

「あれは楽しかったねぇ。ボロボロに疲れたけど」と、女性たちの声は弾む。

「竹の皮に包んだ炊き込みご飯。米6俵分も作ったんだけど、すぐに足りなくなって。交流館に電話して、『下ごしらえしてすぐ送って』って(笑)」

「長い列ができてねぇ。『あと15分で到着しまーす』とか若いボランティアの男の子が叫んで」

「3日間で300万円くらい売れました。菊池ゴボウは1日で完売しちゃったねぇ」

「朝買ってくれた人が夜も買ってくれる。昨日買ってくれた人が今日も買ってくれるんですよ。うれしくて涙が出そうでした」

「帰ってから『コブクロ見たよ。ゆずもいたよ』って話したら孫たちがうらやましがってさぁ(笑)」

「キツイから来年は行かないぞ、と思いながら、また行くんですよ」

そんな話に相づちを打ちながら、小林さんは言う。「NPOの活動って、500万円もらっても使い切れない。50万円くらいがちょうど良くて、だからap bankのような存在はとてもありがたいです。もっとも、ap bankから融資を受けたのは、お金が足りなかったというよりは、つながりがほしかったからなんですよ。いろんな人と関わることで、想像もしなかった新しいことが生まれますから」

孫世代が住みたくなる地域作りを目指して

高校生の前で環境問題を語るap bankの田中氏。きらり水源村の取り組みは非常に多彩だ

高校生の前で環境問題を語るap bankの田中氏。きらり水源村の取り組みは非常に多彩だ

実際、融資が縁でap bank監事の田中優氏と親しくなり、2008年12月にはきらり水源村が主催した「熊本県 農と食の人材育成プロジェクト」の一環で「地域活性化セミナー」の講師として田中氏を招き、100人を超える高校生の前で講演を行ってもらった。さらに、夜には田中氏を水源交流館へ招き、田中氏を囲んでの講話会を実施。そこには福岡や熊本でNPOバンクの設立を目指す人や、阿蘇で起農を目指す若者、産直組織の代表や地元の畜産農家など、さまざまな立場の人が集い、それぞれの立場から意見を交換した。お酒を交えての会話は深夜まで及び、まさに「交流の館」「地域の楽校(学校)」という様子だった。

そこに参加していた、3児の母で「水源館の常連です」という女性は、「ここへ来ると、子どもを怒らなくていいんです」とうれしそうに言う。「クワやカマ、焚き火など、普段なら『危ないからダメ』と取り上げるものに、ここではさわれる。いろいろな年代の子どもがいっしょに遊べる。夜なんか、宿泊棟の廊下で場所の取り合いになるんですよ。部屋じゃなくて、廊下に寝袋で寝るのがすごく楽しいんです」

きらり水源村では、市内の不登校児を集めてのキャンプも行っている。大学の医学部の新入生研修を受け入れているのは、「いつか小児科のお医者さんになって、この町に来てくれたらなぁ、という期待もあるから」だと小林さんは言う。NPO法人こどもあーとの職員として、設立当初から携わる宮原美佐子さんは、「九州中、どこへ行っても子どもが少なくなっています。特に山間地域で」と危機感を募らせる。「水源小学校の閉校という問題も、現実味を帯びています。祖父母がここに残り、息子夫婦と孫が都会へ出ているなら、いつか孫が帰って来たくなるような地域にしよう。実はそれが大きな目標なんです」と、小林さんは語る。

常に風が吹くように人が行き来する町へ

地元料理を楽しみながら多様な人々が語り合う場は、連日のように開かれている

地元料理を楽しみながら多様な人々が語り合う場は、連日のように開かれている

宮原さん
小鷹さん
茂藤さん

交流館のスタッフとして活躍する宮原さん(上)、小鷹さん(中)、茂藤さん(下)

旧水源村地区には、およそ公称1128人、実際には892人が暮らしている。そのうち54人は移住者だという。2006年にここへ移住し、今は交流館で働く小鷹広之さんは、埼玉県出身。交流館が持つ田畑の管理担当者でもあり、新規就農希望者研修の手伝いもしている。

「地元の農家を先生に、今は2人が研修中です。2人とも定年帰農。本当は若い人に来てもらえればいいのですが、収入の問題からなかなか難しいんですよ。逆に農家ではない僕らは、昔の伝統農法を発掘し、残していけるんですけどね」

「実現したいのは、都市と農山村の交流じゃなくて、”対流“なんです」と小林さんは言う。「イベントや交流館だけで完結してしまう出会いでなくて、常に風が吹くように人が行き来している状態」

いきなり就農するのは難しくても、田畑の手入れをする人が常に都市からやって来れば、耕作放棄地にはならない。地域に暮らす子どもの数を急に増やすことは難しくても、毎週のように外から子どもたちが来てくれる環境ができれば、山村も元気を保てる。その人的対流の先には、定住者の増加があるかもしれない。その日を目指して、小林さんは今日も「地元にあるもの」を発掘し、あちこちの組織や人と関わってつながりを作っている。

お年寄りたちの笑顔は、きっと孫世代の自信となるはずだ。

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