平成17年度

徹底した国産原料へのこだわり鬼無里(きなさ)ブランドの「えのき茸茶漬」 長野県長野市 長野森林組合鬼無里事業所

●とうちゃんに冬もふるさとで過ごしてほしい!

長野市から北西に約20km、新潟県との県境沿い、美しい水芭蕉と鬼姫伝説で彩られた奥裾花川(おくすそはながわ)流域の山あいに位置する鬼無里村(きなさむ)――。
 そんな山あいに、長野森林組合鬼無里事業所がある。
 鬼無里事業所の歴史は、第二次大戦の終戦直後から始まる。すでに戦争中の1942年に結成されていた森林組合は、1945年、終戦と同時にいち早く豊富な森林資源を活かした製材工場の稼働を開始。以後、戦後の住宅建設ブームなどにも支えられて、順調に業績を伸ばしていった。
 そんな鬼無里村森林組合に転機が訪れたのは、1960年代だった。
 当時、高度経済成長に沸き立つ日本では、都会に偏った「繁栄」から山村は徐々に取り残されつつあった。その象徴が、「出稼ぎ」と呼ばれる現象だった。
 山村の男達は、冬場になると森林作業や農作業ができなくなる故郷を泣く泣く離れ、現金収入を求めて日雇い労働者として都会へ行かざるを得ないのだ。

「ふきみそ」作りの作業風景

鬼無里ブランドの先がけとなった「えのき茸茶漬」のセット

 鬼無里村の各家庭でも、いつしか恒例となっていた冬の出稼ぎ――。
「何とか、とうちゃん達が都会に出稼ぎにいかなくても、ふるさとで冬の間も収入を得ることはできないものか――」
 長い冬の数か月を雪に閉じこめられ、一家の家長とも引き離されてしまう組合員の妻や子供たち、家族全員の切ない叫びだった。

●エコロジーの先駆でもあった「えのき茸」栽培

 そんな切実な願いを叶えるために、組合は知恵を出し合っていた。
 そこで、着目されたのが、当時同じ悩みを抱えていた近隣の中野や飯山の農業協同組合が始めた
「おがくず」を利用した「えのき茸」の栽培だった。
 それまで、鬼無里村森林組合においても、大量のおがくずの処理は悩みの種だった。捨てるか、あるいは仕方なく堆積させるしか、方法がなかったのである。いわば「やっかいもの」だったおがくずを、何とか活用する方法を模索していたところ、前述の組合の先例にいき当たったのだった。